Danse de la Fée Dragée
「美味しい!」 目の前に紅茶と一緒にこんもり盛られたスコーンを口に運んだ悠人は思わずそう声を上げた。 プレーンのスコーンというのは手順が簡単なので作る事自体は難しくないが、美味しいものに仕上げるのはなかなか困難だ。 シンプルな物ほど腕を要するろいうのは音楽も料理もかわらない。 その点においてかなでの作ったスコーンは十二分にその腕の良さを知らしめるものだった。 「本当に美味しいですね。」 「えへへ、ありがとう。」 目を丸くした悠人の讃辞にかなでは照れたように笑った。 「久しぶりに焼いてみたけど、うまくいって良かった。」 そう言いながらかなでがテーブルの向こうで一つスコーンを割る。 コンフィチュールに乗せるのは悠人が持ってきた梅のジャムだ。 今年は境内の梅が豊作で梅干しにしてもまだ余ったと悠人の母が作ったのを持ってきたのが、このお茶会のそもそもの発端だった。 菩提樹寮にジャムの配達にきてみたら、ちょうど他の寮生は休みで遊びに行っていて留守で。 唯一残っていたかなでにジャムを見せた所、目を輝かせて言ったのだ。 『これはスコーンを焼かなくちゃ!』と。 なにがどうして、ジャム=これはスコーンに繋がっているのかは若干理解不能な所があったものの、かなでの楽しそうな様子に思わず引き込まれた悠人は、結局スコーンが焼けるまでかなでの話し相手になることになり、このお茶会、というわけだ。 そんな経緯を思い出している悠人の前でかなでは梅ジャムがのったスコーンにぱくりとかぶりついて、ふにゃっと頬を緩ませる。 「おいし~~。このジャム、甘さがちょうどいいね。」 「ありがとございます。母が喜びます。」 「うん!お母様にありがとうございますって伝えておいて。」 「それにしても先輩は本当に料理が上手いんですね。」 手に持ったスコーンを口に運びながら悠人はしみじみそう言った。 素人が作るとパサパサになりやすいお菓子だが、悠人が口に運ぶそれはとてもしっとりとしてまとまりもよく紅茶に合う。 自分でもってきながらジャムをつけるのがもったいなくて素のままかじっている悠人に、かなでは少し口を尖らせた。 「あ、疑ってた?」 「いえ、そうじゃありませんけど・・・・」 実際、かなでの手作り弁当を食べた事のある者にとっては、かなでの腕は疑うまでもない。 けれどできあがった物をいただくのと、目の前で焼いて見せてくれた物を食べるのとではなんとなく感慨が違ったのだ。 しかしかなでの方は悠人の中途半端な返事を疑われていた、と取ったらしい。 むうっと心外そうにスコーンをかじってぽそっと呟いた。 「これでも東金さんお墨付きなんだから。」 「・・・・え?」 今、何か聞き捨てならないことを聞いた。 「先輩、今、なんて言いました?」 「あ、疑ってるの?本当なんだからねー!東金さんはこのスコーンを食べてパティシエとしてやっていけるって保証してくれたもん。」 嘘じゃないんだからね、と無邪気に念を押すかなでに、悠人の口元が引きつる。 (たぶん、わかってないんだろうけど。) おそらくかなでは舌の肥えたセレブな東金に認められた事を純粋に言い張っているのだろう。 が。 東金千秋・・・・神南の部長でありやたらと華やかな男はセミファイナルで星奏に破れて以来、めっきりかなでにご執心なのだ。 かなでがスコーンを渡したというのがいつだかはわからないが、ポイントとして上乗せされたのは間違い無い。 口に運んだスコーンがそんなはずはないのに、少し苦く感じられて悠人は眉を寄せた。 その表情に驚いたのはかなでだ。 「どうかした?スコーン、美味しくなかった?」 的外れな事を心配してオロオロするかなでは、可愛いと思う。 そして同時にかなでは自分だけのものではないのだと思うと苦しくなる。 花開くような演奏も、真っ直ぐな瞳も、お料理上手でちょっと危なっかしい性格も、面倒な恋敵達を惹き付けてやまない人。 いつか、そんな恋敵達の誰かのためにお菓子を焼いたりするのだろうか。 (・・・・例えばあの神南の部長とか?) 「・・・・・・」 「は、ハルくん?」 「いえ、すみません。想像したら予想以上に腹が立っただけです。」 「ふえ?」 きょとんっとして見返すかなでに、悠人は思い切り眉間に皺を寄せたまま向き合った。 「いいですか、先輩。」 「は?はい。」 「今更言っても無駄かも知れませんが、気軽に手作りお菓子なんか振る舞ってはいけません。」 「ええ?」 いきなり言い聞かせるモードになった悠人にかなでは驚いて目を白黒させる。 しかしかなでにこれ以上余計な恋敵を増やさないで欲しいと思っている悠人は積み重ねるように続けた。 「先輩みたいな人から手作りのお菓子をもらって勘違いしない人はいません。だから好きでもない人に気軽にあげると必要ない誤解を招きますよ。」 だからあっちこっちの男にあげないで下さい・・・・とまでは、口に出せない常識派の悠人はともかくこれだけは言い聞かせないと、と言った。 しかし。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 驚くなり、反論するなりしてくるかと思ったかなでは、何故かじっと考え込んで・・・・。 「?先輩?」 先ほどとは反対に、悠人がかなでを覗きこむ。 と、ふっとかなでが顔を上げた。 そしてその若草色の瞳に真っ直ぐ悠人を映して。 「ハルくんは?」 「え?」 「ハルくんも勘違いしたりする?」 ―― 多分、この時の自分はかなでの若草色の視線に少しのぼせていたのだと、後に悠人は思う。 けれど、それは「後に」の話で、この時、悠人はそれにすら気が付かずかなでの質問を脳内で咀嚼して、深く考える前にうっかり頷いていたのだ。 「それは、まあ・・・・」、と。 口に出してしまってから、遅ればせながら悠人の脳が違和感を訴える。 (・・・・あれ、この言い方・・・・) さっき自分がかなでに言い聞かせた事と、かなでの質問と自分の答え。 その間に並々ならぬ繋がりを感じたような気がしたが、結論を出したくないせいか思考が働かない。 けれど、そんな悠人の思考は一瞬にしてフリーズする事になる。 というのも、悠人の答えを聞いたかなでが、それはそれは嬉しそうにぱっと笑ったから。 そして ―― 「勘違いして欲しい人が勘違いしてくれるなら、いいの!」 「・・・・・・・・・・え?」 (勘違いって・・・・) 頭がまるで複雑な謎かけをされたように動かなくなってしまっている悠人に、かなでは少しだけ照れくさそうに微笑んで。 「お茶のおかわり入れてくるね!」 「あ・・・・」 パタパタと軽い足音を立ててキッチンへ消えていく金茶の髪を見送って・・・・悠人は自分の手の中にあるスコーンに目を落とした。 (・・・・そもそも、先輩がスコーンを作ってくれて・・・・) それを東金が美味しいと褒めたという話を聞いて。 イラッとして、手作りお菓子なんて特別なものを男に気軽に渡してはいけないと諭して。 そう。 (先輩みたいな人から手作りお菓子なんかもらったら、勘違いするから・・・・って。) ぱちりぱちりとパズルのピースが埋まるように、頭が白くなる前の出来事が並べ直されていく。 そしてかなでの複雑な謎かけのその答えは。 『だから好きでもない人に気軽にあげると必要ない誤解を招きますよ。』 『ハルくんも勘違いしたりする?』 『それは、まあ・・・・』 『勘違いして欲しい人が勘違いしてくれるなら、いいの!』 (かん・・・違いって、ええっ!?) やっと再構築されていた頭が、今度は級に沸騰した気がした。 (ど、ど、どういう意味で・・・・) 言ったんだろう、と今すぐかなでを問い詰めたくなる気持ちと、別に深い意味はなかったら、と想う気持ちの狭間で悠人は口元を手で覆った。 キッチンから聞こえる何やら上機嫌そうなかなでの鼻歌の理由を考えるのはひとまず後回しにした方が良さそうだ。 今はともかく ―― 絶対、赤くなっている顔をどうにかする方が最優先事項で。 やらたと跳ね上がってしまった鼓動をどうやって抑えたものか苦し紛れに囓ったスコーンの味は、何もつけていないはずなのに、甘く感じて。 余計に途方にくれた悠人を急かすように、キッチンから紅茶の香りが漂い始めていた。 ~ Fin ~ |